白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

勝者はひとり立つ:第12章 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

勝者はひとり立つ:第12章
"The Winner Stands Alone" Chapter 12
2009/3/6
パウロ・コエーリョ

ジャビッツは周りをちらりと見る。濃いサングラスの男がフルーツジュースを飲んでいる。彼は周りに気付いていないようで、そこから遠いところにいるかのように海を見つめている。洗練された着こなしをしていて、ルックスが良く、グレーの髪色をしている。最初に到着したうちの一人で、ジャビッツが誰なのか知っているに違いないが、彼のところに来て自己紹介しようと工面しなかった。その場所にあんな風に一人で座っているなんて彼は勇敢だ。カンヌでひとりでいることは呪いに等しい。それが意味するのは、その人が誰にも興味を持たれておらず重要でないか、誰も知り合いがいないということだ。

ジャビッツはその男を羨む。ジャビッツがいつもポケットに入れている「普通の」振る舞いのリストに、おそらく彼は合わないだろう。彼はとても自立して自由に見える。だから、それほど疲れを感じていなければ、ジャビッツは本当に彼と話したかった。

ジャビッツは彼の「友人」の1人に目を向ける。

「普通であるとはどういう意味だろう?」

「良心で悩んでいるのですか?何かすべきでないことをしたのですか?」

ジャビッツは明らかに間違った男に間違った質問をした。同伴者はたぶん、ジャビッツが自分の人生で作ったものを後悔していて、新しく始めることを望んでいるのだと思い込んでいる。だが、全くそうではない。彼が後悔するのなら、再び始めるには遅過ぎる。ゲームのルールは知っているのだ。

「普通とはどういう意味かと聞いたのです」

「友人」のひとりは困惑したように見える。もうひとりはテントを見渡し続け、行き来する人々を見ている。

「すべての野心を欠いたように暮らすこと」第一の「友人」がやっと言う。

「友人」は笑う。

「そのテーマで映画を作るべきですよ」と彼は言う。

「もう、やるつもりはない」ジャビッツは思う。「彼らはわからないのだ。四六時中私と一緒にいるが、私がやることをまだ理解していない。私は映画は作らない」。

どの映画も、プロデューサーと呼ばれる人の頭の中から始まる。プロデューサーは本を読み、ロサンゼルス(それは都市を求める本当に大きな郊外だ)のフリーウェイを運転中に、素晴らしいアイディアを持つ。車内においても、その素晴らしいアイディアをスクリーンで見られるものに変える願いにおいても、残念ながら彼は孤独だ。

彼は、その本を映画化する権利がまだ有効かどうか調査する。反応が否定的な場合、彼は別の作品を探す。結局、アメリカだけで毎年60000冊以上の本が出版されているのだ。反応が肯定的な場合、著者に電話して最低限のオファーをし、通常それは受け入れられる。テレビ業界と提携したいのは俳優や女優だけではないのだ。彼または彼女の言葉が映像になると、どの作者も自分がより重要になったと感じるのだ。

彼らは昼食を手配する。プロデューサーは、その本が「芸術的で非常に映画的な作品」で、作家は「評価されるべき天才」だと言う。作家は、その本のために5年間取り組んだと説明し、脚本の執筆を手伝う許可を求める。「いいえ、あなたがやるべきではありませんよ。それは完全に異なる媒体なのです」と返事が来る。「だが、あなたが結果を気に入るとわかっています」。そして彼は次のように言い添える。「映画は完全に本に忠実なものになる予定です」。双方とも知っているように、それは完全に全くの嘘だ。

作家は、次回は違うようにやると自分自身に約束して、その状況に同意するべきだと決断する。彼は承諾する。すると、プロデューサーは、プロジェクトのために経済的なバックアップがいるので、大きなスタジオのひとつに関心を持たせる必要があると言う。彼は主要な役として何人かのスターの名前を挙げる。ーそれはさらなる完全で全くの嘘だが、誘惑の手法として常に持ち出され、常に機能するものだ。
彼は「オプション」として知られているものを買う。それは、彼は3年間権利を保つために1万ドル程度を支払う、というものだ。それで何が起きるか?「それで私たちはその金額の10倍払いますので、そうすればあなたは純利益の2%の権利を持ちます。」それで会話の財政的な部分はけりがつく。なぜなら、作家は彼の利益の一片から大金を稼ぐだろうと確信しているからだ。

周りに尋ね回れば、ハリウッドの会計士が、映画が決して利益を生まないようになんとかそれを管理するということを彼は直ぐに発見するだろう。

ランチの終わりには、プロデューサーが作家に巨大な契約書を渡し、作品が確実にスタジオのものだとわかるように、今サイン出来るかどうか尋ねることになる。(存在しない)パーセンテージと、脚光を浴びる可能性(それはどちらも起きない。せいぜいクレジットの中に「誰々の本に基づいて…」と言う一行があるだけだ)に目を向け、作家はあまり良く考えることなく契約書にサインをする。

虚栄心の虚栄心、全てが虚栄心。3000年以上前にソロモンが言ったように、太陽の下には新しいものは何もない。

プロデューサーは様々なスタジオのドアをノックし始める。彼はすでに業界で知られているので、それらのドアのいくつかは開いているが、彼の提案が必ずしも受け入れられるわけではない。その場合、彼は作家にわざわざ電話をかけたり、再び昼食に誘う手間すらかけず、彼がプロジェクトに熱意を注いだにもかかわらず、映画業界はその種の物語に対してまだ準備ができていないので、契約書を返送する(もちろん、彼はそれにサインしていない)、という手紙を書くだけだ。

提案が承認されれば、プロデューサーは階級が最も低く、給料が最も安い人物のところへ行く。つまり、スクリーンライターだ。彼らは、オリジナル作品や映画向けの脚色の執筆や訂正に数日、数週、数ヶ月を費やす。脚本はプロデューサーに送られ(作家には決して送られないが)、プロデューサーは、スクリーンライターが常にもっと良い仕事ができるとわかっているので、最初の原案は習慣として自動的に却下する。有能な若手(または年とった売れないライター、その中間はない)は、コーヒーと不眠症の月日を重ね、各々のシーンを書き直す。書かれた脚本は、プロデューサーによって却下されるか再構築される(スクリーンライターは、「そんなにうまく書けるのなら、なぜプロデューサーが自分で全部を書かないのか?」と考える。それから彼は給料をもらうことを思い出し、おとなしくコンピューターに戻る)。

遂に、脚本がほとんど仕上がる。この時点で、プロデューサーは要求のリストを作成する。:
より保守的な観客を興奮させるかもしれない政治的な言及は削除すること。
キスをより多くすること。なぜなら、女性はそのような種類のことが好きだからだ。
始めと中盤と終わりがあって、自己犠牲と献身によって誰をも涙させる英雄が登場する物語であること。
あるキャラクターは映画の冒頭で愛する人を失い、最後に再び彼または彼女を見つけること。
実際、ほとんどの映画の脚本はとても簡潔に要約できる。:男が女を愛する。男が女を失う。男が女を取り戻す。
映画の90%はこの同じテーマのバリエーションだ。

このルールを破る映画はそれを補うためにとても暴力的であるか、群衆を喜ばせる特別な効果を持っていなくてはならない。そして、これが十分に試行された必勝法なのに、どうして不必要な危険を冒す必要があるのだ?

良く書かれた物語と考えるもので武装し、プロデューサーは次に誰を探し求めるのだろう?プロジェクトの資金を調達したスタジオだ。しかしスタジオには、世界中で減りつづける映画館に配給するための映画が長い列を作って待っている。スタジオはプロデューサーに、少し待つか、もしくは独立系の配給会社を見つけてほしい、と頼む。
彼らは、プロデューサーが(「地球外での」独占権すら考慮する)別の巨大な契約にサインすることを最初に確認する。そして費やされる全てのお金に全責任を負う。

「それが私のような人間が入る場所だ!」このようなメディアの催しでは、誰もがその人が誰であるかを知っているが、独立配給会社は認識されることなく通りを歩くことが出来る。彼はアイディアも出していないし、脚本も書いていないし、1セントの投資もしていない。

ジャビッツは仲介者、つまり配給会社なのだ!

彼はプロデューサーを、小さなオフィスに迎え入れる(大きな飛行機、プール付きの家、世界中のパーティーへの招待状は純粋に彼の楽しみのためにある。プロデューサーはミネラルウォーターの価値さえないのだ)。彼は家にDVDを持って帰る。最初の5分を見る。それが気に入れば最後まで見るが、これは与えられた新作映画の100本に1本しか起きない。それから10セント使って電話をかけ、ある日にちと時間に戻ってくるようプロデューサーに告げる。

「サインしましょう」。彼は、まるで大きな恩恵を施しているかのようにプロデューサーに言う。「この映画を配給します」。

プロデューサーは交渉しようと試みる。どれだけの国にどれだけの映画館があり、どのような状況か知りたがっている。しかし、それらは無意味な質問だ。彼は配給会社が言うことを知っているからだ。:「それは公開前の上映での反応次第です」。
製品は、市場調査会社によって、あらゆる社会階級から特別に選ばれた観客に見せられ、結果は専門家の手で分析される。結果が肯定的なら、さらに10セントが電話に使われ、翌日、ジャビッツはプロデューサーに別の莫大な契約書のコピーを3部渡す。
プロデューサーは、彼の弁護士がそれを読む時間を与えてもらえるよう要求する。ジャビッツは、彼がそうするのに何も反対しないが今その時期の予定をまとめる必要があって、彼がジャビッツのところに戻ってくるまでに別の映画を選んでいないという保証は出来ない、と言う。

プロデューサーは、自分がいくら稼げるかを伝える条項だけを読む。彼は自分が見たものに満足するのでサインする。彼はこのチャンスを逃したくない。

作家と一緒に座って、彼の本の映画化について話し合ってから何年か経ち、プロデューサーは、今自分が正確に同じ状況にいるということを完全に忘れている。

虚栄心の虚栄心、すべてが虚栄心、3000年以上前にソロモンが言ったように、太陽の下に新しいものは何もない。

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今、あなたは"The Winner Stands Alone"の最初の1/11を読むことができるようになりました。私たちはここで最初のページの公開を止めます。本はすでにブラジルとポルトガルで発売されており、アメリカ、フランス、ギリシャブルガリア、オーストラリア、オランダに続いて英国では(2009年)3月19日に出版がスタートします。ほとんど全ての他の国では、2009年の6月から12月の間に出版されるでしょう。

 

paulocoelhoblog.com


訳注:"The Winner Stands Alone by Paulo Coehlo" の日本語版は、
2019年5月時点で未発売のようです。