白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

1974年5月28日 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

1974年5月28日 
2019/3/30
パウロ・コエーリョ

1974年5月28日。武装した男のグループが、私のアパートに侵入した。彼らはたんすとキャビネットを通り越して進み始める。 ーだが彼らが何を探しているのか、私にはわからない。私はただのロックのソングライターだ。より穏やかな、そのうちの一人が、「ただいくつかのことをはっきりさせるために」彼らに同行するようにと求める。隣人はこのすべてを見て、早速パニックになっている私の家族に警告する。その頃、ブラジルがどんな生活か誰もが知っていた。たとえ新聞に載らなくても。

私はDOPS(政治社会秩序課)に連れて行かれ、記録を取られ撮影された。私が何をしたのかを尋ねる。相手は質問をするのは彼らだと言う。警部補が馬鹿げた質問をして私を解放する。その時点から、もはや私は公的には収監されていない。 ーだから政府はもはや私に責任を負っていない。私が行こうとすると、私をDOPSに連れて来た男が、コーヒーを一緒に飲まないかと提案する。彼はタクシーを止め、静かにドアを開ける。私は乗り込み、両親の家に行くように求める。ー起きていることを彼らに知らせなければ。

途中、タクシーは2台の車に妨害される。 ー手に銃を持った男がそのうちの1台から出て来て、私を引っぱり出す。私は地面に倒れ、首の後ろに銃身を感知する。目の前のホテルを見て私は考える。「私はすぐには死ねない。」私は一種の緊張状態に陥る。:怖れを感じず、何も感じない。失踪した友人の話を知っている。;私は失踪するのだ。そして、私が見る最後のものはホテルなのだ。男は私を車に乗せ、床に寝かせ、目隠しをするように命令した。

車はおそらく30分程移動する。私を処刑する場所を選んでいるに違いない。ーだが、私はまだ何も感じず、運命を受け入れていた。車が止まる。私は引っ張りだされ、廊下のようなものに押し倒され殴られる。私は叫ぶが、誰も聞いていないことはわかっている。なぜなら、彼らも叫んでいるからだ。テロリスト、と彼らは言う。おまえは死に値する。おまえは自分の国にケンカを売っている。おまえはゆっくり死んでいく。だが、先にたくさん苦しむだろう。奇妙なことに、私の生存本能は少しずつ作動し始めている。

私は、高床のある拷問室に連行される。何も見えないので、私はその高床につまずく。:私は押さないでくれと彼らに頼む。だが、私は背中にパンチを受け、崩れ落ちる。彼らは私に服を脱ぐように言う。尋問が始まる。私どう答えて良いのかわからない質問だ。彼らは、今まで聞いたことがない人を裏切れと私に要求する。彼らは、私には協力するつもりがないといい、床に水を巻き、私の脚に何か置く。ーそれから私が目隠しの下から見ると、それは電極のついた機械で、そのとき私の性器に付けられていた。

今、私は理解する。見えない殴打に加えて(それゆえ、衝撃を和らげるために自分の体を縮めることすらできない)、電気ショックを与えられようとしていたのだ。私は、これをする必要はないと彼らに言う。 ーお望みなら何でも自白するし、署名もする、と私は彼らに言う。だが、彼らは満足しない。それから必死で、私は自分の皮膚を引っ掻き始める。自分自身の一部を引き裂きながら。私が自分自身の血で覆われるのを見たとき、拷問者は恐ろしかったに違いない。;彼らは私を一人残した。ドアが閉まるのを聞いたら目隠しを外して良いと言っている。私はそれを外し、自分が防音室にいるのを見た。その壁には銃の穴がある。それが高床の説明だった。

翌日、別の拷問で同じ質問をされる。何でも署名するし、なんでも自白するので、何を自白すれば良いのかを教えて欲しい、と私は繰り返す。彼らは私の要求を無視する。
どれくらいの時間が経ち、何回の拷問を受けたことだろう(地獄での時の長さは、時計では計られない)。ドアがノックされ、彼らは目隠しを元通りにする。一人の男が私の腕を掴み、困惑して私に言う。つまり、それは私の落ち度ではないと。私は、小部屋に連れて行かれる。真っ黒にペイントされていて、とても強力な空調がエア・コンディショナーがついている。彼らは照明を消す。暗闇と、冷気と、ひっきりなしに聴こえるサイレンだけ。私は狂い始める。私には馬たちの幻影が見える。私は「冷蔵庫」(後に、彼らがその部屋をそう呼んでいるのがわかった)のドアを叩くが、誰も開けない。私は失神する。起き上がっては、何度も何度も失神する。ある時点で私は思う。:ここにいるよりも殴られた方が良い。

私は目覚め、まだその部屋にいる。証明は常につきっぱなしで、いくつの昼と夜が過ぎたのか私にはわからない。永遠のように思える間、私はそこに立っている。
数年後、私の妹が私に言う。両親が眠れなかったと。;母はずっと泣いていて、父は沈黙に引きこもり、何も喋らなかった。

私はもう尋問を受けていない。独房に監禁されている。ある良き日、誰かが私の服を床に放り投げ、服を着ろと言う。私を服を着て目隠しをする。車に連れて行かれ、トランクに投げ込まれる。車が止まるまでの永遠に思える程の間、私たちはドライブをする。 ー私はもうすぐ死ぬのか?
目隠しを外しトランクから出ろと彼らは言う。こどもでいっぱいの公共の広場に私はいる。わからないけれど、リオデジャネイロの何処かだ。

私は両親の家に向かう。母は年をとってしまい、父は私にもう外出はするなと言う。私は友人に連絡をとり、私のシンガーを探す。 ー誰も電話に出ない。私は孤独だ。:逮捕されたのだから、私が何かをしでかしたはずだと彼らは考えるに違いない。元囚人と一緒にいるのを見られることは危険だ。私は刑務所を出たかもしれないが、刑務所は私と一緒にいる。私と近くもない二人の人物が私に仕事を提供するときに救済が訪れる。両親が完全に回復する事は決してないだろう。

数十年後、独裁政権の文書が公表され、私の伝記作家はあらゆる資料を手にする。私は自分がなぜ逮捕されたのか尋ねる。:ある密告者が私を告訴したとのこと。誰が報告したのか知りたいですか?知りたくない。過去は変えられないからだ。

(議会で、彼のアイドルとして最も凶悪な拷問者のひとりに言及した後で)ジャイール・ボルソナーロ大統領は、この「鉛の時代」を日曜日に祝福することを望んでいる。

 

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