時間の輪 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
時間の輪
2008/10/10
パウロ・コエーリョ
カルロス・カスタネダは、きっと間違いなしに、ヒッピー世代の最重要作家だった。知識人の輪には決して受け入れられなかったが、彼がそのことをそれほど気にしたわけではない。
昨年刊行したオンライン版「光の戦士」("Warrior of the Light Online")を、私は彼の作品に捧げた。彼の本からのいくつかの引用を書き写す。:
戦士は、自分の行動への責任を引き受ける。ー最もささいな行動も。普通の人は自分の過ちを決して認めない。だが、たとえ他人のものであっても、勝利を主張する。
彼は勝者または敗者に、迫害者または被害者にもなり得る。だが戦士は、そうする資格がないという理由で、決して戦士の身分を利用することがない。
時々、戦士は表に出て、別の時には姿を隠したままでいるべきだ。
いつでも表にいることは、全員が隠れ場所を知っているときには隠れるのが無益なのと同様、戦士にとって無益だ。
表に出る時と姿を隠すときを交互に切り替えることによって、彼は疲れにくくなり、周りの人たちを疲れさせない。
普通の人にとって世界が奇妙なのは、人生に疲れていない時、自分には価値がないと思って苦しむからだ。
戦士にとって世界が奇妙なのは、それが途方もなく、恐ろしく、神秘的で、深遠だからだ。
人であることの恐怖、人であることの驚嘆、そのふたつのバランスをとるのが戦士の真髄だ。
行動には力がある。特に、その戦闘が最後の戦になるかもしれないと戦士が知っているときには。
私たちがいつ死ぬかもわからないという知識をもって全力で行動する時、奇妙な喜びがある。
この世界で最も難しいことは、戦士の姿勢を取ることだ。
寂しさや不満は役に立たず、私たちに間違ったことをする人を主張することでもない。誰に対しても、まして戦士には誰も何も出来ない。
戦士の自信は普通の人の自信ではない。
普通の人は、見物人の目で見た承認を探しその確信を呼び寄せる。
戦士は、彼自身の目で見た完璧さを探しその謙遜を呼び寄せる。
普通の人は隣人に縛られ、戦士は無限と接触している。
どんな瞬間にも、戦士はできることがたくさんあり、それは数年前にはできなかったことだ。
物事が変わったからではなく、戦士が自分自身について持っている考えが変わったのだ。
権力は常に、狭い幸運の範囲内に戦士を置く。
それを使うため、永遠に流動的であることが戦士の技巧だ。
誰もが、自由に物事を達成するのに十分な力をもっている。以前は弱点に捧げられていたエネルギーを攻略し、今回の人生で有利に使うことが戦士の極意だ。