私たちと批評家 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
私たちと批評家
2018/4/19
パウロ・コエーリョ
誰かに自分の仕事を批判されたら、大抵の人が傷つくと私は確信している。
批評家を深刻に取り過ぎてはいけない。彼らには、誰かが本やCDを買わせたり、展覧会に行ったりさせる(または妨げる)力を持ち合わせていない。持ち合わせていない重要性を彼らに与えてはいけない。彼らは生計を立てようとしている、そしてそれだけなのだ。
もし私があなたをうまく説得できなかったなら、以下のコメントを読んで下さい:
心の中で正しいと感じる事をしなさい、いずれにせよあなたは批判されるのだから。
〜アンナ・エレノア・ルーズベルト
成功した人は、他の人から投げられたレンガで固い基礎を据えることができる人だ。
〜デビット・ブリンクリー
美術館の絵は、おそらく世界一多くの馬鹿げた意見を聞くだろう。
批判を免れるためには ー何もするな、何も言うな、何にもなるな。
〜エルバート・ハバード
それはあなたについて述べることではない。ささやくことだ。
〜エロル・フリン
もし批判に害を及ぼす力があれば、スカンクは今頃絶滅しているだろう。
〜フレッド・アレン
反対を怖れてはいけない。覚えておきなさい。凧は、風と一緒にではなく逆らって上がるのだ。
〜ハミルトン・マビー
人を批判する前に、彼らの靴を履いて1マイル歩いてみるべきだ。
そんなふうに彼らを批判するとき、あなたは1マイル離れていて彼らと同様の靴を持っている。
〜JK ランバート
否定的な意見はあなたに賞賛以上の満足感を与える、それが嫉妬めいている限りは。
私は彼ら(劇評家)がいつでも大好きだ…
彼らは毎夜劇場に行き、それについてごくわずかしか知らない。
彼らはとても恐ろしいほどに利口だと私は思う。
怒りの芸術を目的にしたとき、
棒と石は骨に堪え難く、
言葉は猛烈に感情を傷つけ、沈黙は心を壊す。
〜フィリス・マッギンリー
蝿さん、あなたは堂々とした馬を刺して彼をたじろがせるかもしれません;
しかし一方は虫にすぎず、もう一方は依然として馬のままですよ。
古いものをただ保持して使う代わりに、新しい発見を押し進める事を;
論争者として敵意のある批評家を越えるよりもむしろ、労働者として自然を越えて勝利を得る事を;
魅力的で見込みがある空論の代わりに、実際に明確で実証的な知識に到達する事を;
もし真剣に願う人がいれば、科学の真実の息子として私達の同類に加わるよう誘う。
批評家はハーレムにいる去勢された男のようだ;彼らはそれがどのように行われるかを知っており、毎日それが行われるのをを見て来たが、自分ではできないのだ。
〜ブレンダン・フランシス・ベーハン
原文:http://paulocoelhoblog.com/2018/04/19/we-and-the-critics/